文学は架空世界に存在するのか

松山大学法学部准教授 新井 英夫

 文学は架空世界に存在し、社会状況などと全く繋がりを持たぬものであると思っていないでしょうか。今回はこの誤解について、小説『碾臼』を例に、お話ししたいと思います。

 英国では1960年代後半から70年代の初めにかけて、「許される社会」という言葉が流行し、夫婦それぞれの婚外ロマンスなども社会意識の上では「許される」ようになりました。「イギリス人にとって家庭は城」という諺が表わすような過去連綿として続いてきた家庭を基盤としたイギリスの確固たる社会体制は、この時代、崩壊しつつあったのです。さらに1960年代に入ってからの経口避妊薬の普及と共に、男性に依存する従来の生活態度への反省と自由自立への志向とが芽生え、この時期、女性の意識は大きく変わりました。

 このような時代の変化に沿う形で1969年7月25日に家族法が改正され、翌年1月1日に(第三章を除いて)施行されています。この法律は4章から構成され、第1章は、民事上の成人年齢を21歳から18歳に引き下げ、第2章は、嫡出でない子に対して、その父母の無遺言存続に際し、嫡出である場合と同様の相続権を与え、第3章は、父性に争いがある場合、血液検査を命じる機能を裁判所に付与し、第4章は、関連諸規定、となっています。第2章において非嫡出子の取扱いに関して法整備が為された背景には、出生総数に対する非嫡出子の割合増加があります。第二次世界大戦後、しばらくは5%台前半を推移していた非嫡出子出生の割合が、1960年代に入ると上昇を始め、1965年には非嫡出子出生数は6.6万人に及び、出生総数に対する非嫡出子出生の割合は7.7%を占めるまでになり、10年前の1955年から1.6倍近くにまで増加し、大きな社会問題となっていました。このような社会状況を背景に書かれた作品が、マーガレット・ドラブルの代表作『碾臼』です。

 恵まれた家庭に育ち、自立の精神ばかり躾けられた主人公ロザマンドは、ラジオ・アナウンサーであるジョージとたった一度だけの関係で思いもかけず妊娠し、オクテイヴィアという娘を産んでいます。しかしロザマンドはジョージにこの事実を一切知らせることなく非嫡出子としてオクテイヴィアを出産し、育てます。このようなロザマンドの境遇は、これまでの説明からも明らかなように、時代の状況を多分に反映しているのです。文学は必ずしも架空世界に存在するわけではないのです。