法律を学ぶということ

民事訴訟法 石橋 英典 准教授
ISHIBASHI, Hidenori

 高校では、公共や政治・経済などの科目で、法律について学ぶ機会があると思います。その際には、地理や歴史といった他の社会系科目と同様に、試験できちんと答えることができるように「暗記する」という作業が学びの中心になっているのではないでしょうか。

 大学の法学部での学びでも、「暗記する」という作業は必要です。というのも、法学部での多くの授業では、それまでの授業内容について最終試験が課されますが、試験勉強をして合格点をとるために、ある程度、法律制度や判例などを覚える必要があるためです。しかし、法律を学ぶということは、このような暗記がすべてではないはずです。法律学は「答えのない学問」であり、暗記しても意味がないともよく言われるからです。では、「答えがない」や「暗記は意味がない」とはどういうことでしょうか。

 私が専門とする民事訴訟法では、「違法に収集した証拠を裁判で証拠として使用できるか」という問題があります。例えば、相手との言い争いを無断で録音したデータや、雇用関係を争う会社に対し、持出厳禁とされる会社内の人事資料をこっそりコピーした書類、あるいは、旦那の浮気相手の自宅のポストを破壊し、そこに届いていた旦那宛の郵送物、これらは全て違法に入手した資料となりますが、これらをそれぞれの裁判の証拠とすることは許されるかという問題です。実は、この問題について規定する法律はありません。民事裁判では、基本的にどんな証拠でも認められることが原則ですが、上に挙げた例のような資料も証拠として認めてもよいでしょうか。証拠として認めると、真実に近づく裁判が可能になるかもしれません。他方、違法に入手した証拠を裁判所が認めてしまうと、裁判所が違法な行為を認容することになってしまい(もちろん、違法行為による損害は別途賠償することになるはずです)、裁判では「勝つためには何でもあり」になってしまうことになりかねません。では、どう考えればよいでしょうか。違法な行為や証拠の種類は多様にあり、「この場合は許される・許されない」と暗記するだけでは、この問題を解決することは難しそうです。そもそも、この問題の核心である、裁判では真実を優先すべきか、一切の違法行為を認めない清らかな手続であるべきかといった問題は、突き詰めると価値観の問題であり、答えはありません。このような中で、過去の判例はどのように判断したのか、原告や被告、裁判所、あるいは社会への影響など様々な視点から悩み、思考を巡らせ、ベストではないにしても少しでもベターな解決策を模索することこそが法律を学ぶ作業なのだと私は思っています。

 答えのない中で、何とか結論を出すために悩むことが法学を学ぶ上でのむずかしさであり、同時におもしろさでもあるはずです。法律の世界は奥が深く、暗記だけではない世界がそこにはあります。そして、この世界に触れることで、「みんなはそう言っているけれど、本当にそれでよいのだろうか」と、多くの人が見落としがちな視点から物事を考えることのできる力が身につくかもしれません。