民法 渡辺 幹典 准教授
Watanabe Mikinori
「法学部は何を勉強するところか?」と聞かれたら、みなさんは「法律」と答えるでしょう。では、「法律を学ぶ」ということは、どういうことなのでしょうか。「法律に書かれていることを理解する」という答えでは、正解とは言えません。
最近、テレビでは法律問題を取り上げる番組が人気を呼んでいるようです。番組の中では、日常生活で発生する紛争が取り上げられ、それを法律によって解決していくのですが、中には予想と違う結果に「どうして?」と、納得できないこともあるでしょう。また、弁護士同士で意見の割れることもあります。そのような場合に、「なぜ法律を適用するだけなのに意見が分かれるのか」
という疑問を持ったことはないでしょうか。六法全書を読めば、法律の内容を知ることはできます。でも、それだけでは争いは解決しません。「法律を学ぶ」ということは、実は法律を現実の問題に適用して、「公平に」「紛争を解決する」手段を学ぶということなのです。
それでは、どのように「法」を適用することで、争いが解決されるのでしょうか。テレビドラマであれば、登場人物の善悪ははっきりしています。視聴者も、主人公の視線から敵役を見ているので、最後に主人公が勝つことで満足します。さきほど取り上げたテレビ番組も、実は一方の当事者から見た視点でストーリーが組み立てられていることが多く、従って、みなさんはその当事者の視点から紛争を見ることになり、その当事者が負けると不満を感じることになります。しかし現実の紛争では、一方が100%正しく、他方が完全に悪いということは、普通はありえません。当事者それぞれが正義の主人公であり、自分の相手方が敵役です。だからこそ、お互いが自分こそ正しいと主張し、紛争になるのです。このままでは紛争は解決しません。そこで法律の出番ということになります。裁判所は事実関係を確定し、そこに法律を当てはめて解決を図ります。しかし、実はこれが非常に難しいことなのです。
次のような場面を考えて見ましょう。AさんがBさんから1,000万円を借りる際に、もし返せなかったら代わりに自分の家を渡すと約束しました。Aさんが返済できなくなった場合、BさんはAさんの家をもらうことができるでしょうか。「約束だから当然だ」と考えることもできます。確かにその通りなのですが、でも、その家が時価5,000万円だったらどうでしょう。Bさんは5,000万円の家を1,000万円で手に入れることになります。しかも、AさんはBさんに強要されて、お金を借りるために仕方なくこの約束をしたとしても、「当然」でしょうか。
法律によって紛争を解決するという場合、その結果が公平なもので、双方が納得できなければ意味がありません。納得できる解決を導くことができて、初めて法律の存在する意義があるのです。そして法律を用いて、その「公平で納得できる解決」を見出すのが、法学という学問です。法学は、決してやさしくはありません。しかし、だからこそ学ぶ価値もあるのです。ぜひ、その奥深さを感じてみてください。