行政法・憲法 倉澤 生雄 教授
Kurasawa Ikuo
皆さんが今まで体験してきた勉強というものは、「ここは試験に出るので覚えておこう」あるいは「Aという公式を知っておかないとBという問題は解けないから、Aという公式を覚えておこう」というように、「覚えておくこと」に勉強の主眼があったと思います。大学で「学ぶ」ということは、覚えておくことに主眼があるわけではありません。なによりも、現実に生起している問題について、どのように考え、どのように解決していくべきなのかという、問題解決を目指すところに主眼があります。これは大学で学ぶ専門的な学問すべてにおいて言えることなのですが、ここでは法律学を学ぶということについて焦点を当てて述べていきたいと思います。
法律を学ぶことというと、六法に載っている法律の条文を覚えていくことと思うかもしれません。しかし、それは、学ぶことの一内容ではあっても、すべてではありません。これを、身近な例で考えてみたいと思います。松山市には、自転車利用者が多く、自転車で通学している学生も多いですね。自転車は特に免許も必要としていないので、誰でも気軽に乗ることができます。しかし、気軽さゆえに、危険な運転をしている人もいます。夜間にライトをつけずに自転車を運転することについて道路交通法52条1項では次のように定めています。「車両等は、夜間(日没時から日出時までの時間をいう。以下この条及び第六十三条の九第二項において同じ。)、道路にあるときは、政令で定めるところにより、前照灯、車幅灯、尾灯その他の灯火をつけなければならない。」自転車も車両なので、ライトをつけなければならないわけです(「ならない」というのは、法律の定め方としては厳格な定め方です)。そして、違反した場合には、同法120条1項で5万円以下の罰金に処する旨定められています。実際には、このような規定があることすら知られていないのかもしれません。かといって、自転車の無灯火運転で罰金を支払ったという人もほとんどいないでしょう。法律を覚えておくことが法律を学ぶことならば、この条文をただ知っておけばいいのです。実際、自動車の運転免許取得の学科試験では、道路交通法の内容を知っているか否かが試されているわけです。法律を知っておくことは、日常生活を安全に送る上では、それなりの意味をもっています。しかし、法律学というのは、ここからさらに踏み込んでいきます。そもそも、なぜこのような定めが置かれているのか。実際に、実効性がないのはなぜか。罰金って何だろうか。罰金を科すことの意味はなにか。罰金を科す手続にはどうなっているのか。無灯火で自転車を運転していて交通事故を起こした場合、責任はどのようになってしまうのか。このように次々に連鎖して湧いてくる疑問を考えていくことが大切なのです。そして、このような疑問を考えていくときに、法律の基本的な仕組み、法律に用いられている用語の意味を理解しておくことが求められるのであり、実際に事件となり裁判で争われた例(判例といいます)を紐解いていく作業が必要になっていくのです。これらの作業を経た上で、自転車の運転のありかたについて各自が適切に判断を下せるようになること、それが法律を学んでいくことの意味なのです。
法律を学ぶことというのは、既存の法律を手がかりにしながら、現実の社会状況を認識すること、そして認識した社会に対して、自分はどのようなスタンスで関わっていくことができるのかを考え、実際に関わっていくということです。大学生となった今、条文を「覚える」勉強ということから抜け出して、現状を「考える」学問へと大きく踏み出していってください。