「有師寮」の寮名に込められた加藤彰廉校長の思い ~論語縦横談(2)~

松山大学法学部教授 銭 偉栄(せん よしはる)

 松山大学7号館の西側に隣接する建物の中に有師寮(男子寮)が入っています。現在の建物は1975(昭和50)年にできたものですが,有師寮という名称は90年以上の歴史を誇っています。
 1931(昭和6)年11月 ,遠隔地出身の生徒の下宿問題を解決するため,卒業生有志の計画により,元大和屋旅館(明治初期築造の古い木造旅館)を改造して学校公認の寄宿舎として開設され,加藤校長がそれを「有師寮」と名づけたのがはじまりです。ところが,この寮はわずか数年後に閉鎖されました(閉鎖時期不明)。1937(昭和12)年,もともと野球部の合宿所として使用していた寮(元北予中学校から譲り受けたもの)を改装して学校寄宿舎(旧寮)を開設した際に,有師寮の名称を継承して今日に至りました。
 この寮名は,「三人行,必有我師焉。択其善者而従之,其不善者而改之」という孔子の言葉(論語・述而第七)に由来するとされています。日常生活の中で接している周りの人びとには必ず自分の師となる者がいます。それらの者の言動を見て,善いものには従いますが,善くないものはこれを反省材料とし,自分自を改めるのだという,学びの姿勢についての孔子の教えの1つです。
 寮生たちはこれから数年間にわたり同じ学校に通い,かつ,1つの屋根の下で寝食を共にすることになります。善いものも善くないものも含めてほかの寮生から学ぶことが多いでしょう。教室で学べないものを学ぶこともあるでしょう。そのような寮生活を送ってほしいと,加藤校長はきっとそういう思いを込めて「有師寮」と名付けたのではないでしょうか。
 「私が一番に教わった事は,『簿記』でもなく,『マーケティング概論』でもありません。有師寮で学んだ礼儀や人生哲学,友情や義理人情。寮全体でひとつの事に力を合わせて一生懸命努力する姿勢」だと,そう振り返ったのは大学22回卒(1973年)の有師寮OB関本和郎氏です(注)。加藤校長の思いがしっかりと体現されているようです。
 学ぶべきものは知識に限りません。したがって学びは,先生からだけではなく,周りの人びとからも得ることができます。友人や同僚,そして歳の差を超え,師弟や先輩後輩の枠を超えてすべての人がその時々で我が師となり,社会生活を円滑に送るために欠かせないマナーや礼儀作法などを学ぶことができます。その学びは一生続きます。
 ところで,とある日,ゼミ生の裁判所見学の事前打ち合わせのため,松山地方裁判所に行こうとしたところ,大学の正門近くで,いつも親しくしている方から声をかけられました。
 「よ,銭先生。どちらへ。」
 「よ,裁判所に行ってきます。」
 「裁判所? 何か悪い事でもしましたかね。」
 「いやいや。裁判所見学のため事前打ち合わせをしに行くだけさ。」

 その何気ないひと言から,「日本人の訴訟回避傾向(裁判嫌い)」およびその理由(裁判=悪)を教わり,「和をもって貴し(尊し)となす」という価値観を再認識しました。この体験をもとに,いま,加藤校長の思いが,有師寮にとどまらず,キャンパスの隅々まで届くことを願う毎日を過ごしています。

有師寮
現在の寮の玄関口に掲げられている寮名板
有師寮
温山会館2階で保管されている松山商大時代の寮名板


 (注)「有師寮開設八〇周年を迎えて」温山会報60号(2018年2月)37頁。この記事をご提供くださった有師寮OBの玉井孝宏さん(大学28回卒)に重ねてお礼申し上げます。

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