民事判例現場めぐり(3)大阪アルカリ事件

松山大学法学部教授 銭偉栄

 不法行為責任(民法709条)の成立要件の1つとして、故意または過失がある。民法典施行後、過失概念について、「主観的過失から客観的過失へ」または「過失の客観化」という変遷があった。その過程において、大阪アルカリ事件大審院判決(大判大5・12・22民録22輯2474頁)が重要な役割を果たした。

 硫酸製造や銅の精錬などを事業とする大阪アルカリ株式会社(Y)の工場(大阪西区湊屋町127番屋敷)の生産過程で大気中に放散された亜硫酸ガスなどが工場周辺の農作物に甚大な被害をもたらしたため、被害を被った小作人たち(Xら)がYに対して損害賠償を請求した事案である。原審の大阪控訴院は、Yの工場から放散された亜硫酸ガスなどがXらの農作物を害した以上、Yにおいて亜硫酸ガスなどの放散を防止できたかどうかにかかわらず損害賠償責任を負うべきものだとして、Xらの請求を認めた。Yより上告。大審院は、事業の遂行によって発生しうる損害を予防するために事業の性質に従って相当な設備を施した以上、民法709条にいう過失があるとは言えないから、たとえ他人に損害を与えたとしても損害賠償責任を負わない旨判示し、原審判決を破棄して差し戻した。

 本判決は一見、損害の発生を防止するために相当の設備を施せば過失はない、という企業側に有利な過失概念を展開したように見える。しかし、この過失概念による場合であっても、過失の有無の認定は、損害の発生を防止するための設備が「相当」かどうかの判断に大きく左右されるので、必ずしもそうなるとは限らない。事実、差戻審は、損害の発生を予見し、(煙突を高くすることによって)損害を防止する方法があるにもかかわらずYの故意または過失によりその方法を講じなかったとして、原審同様、Yに責任があるとしたのである(大阪控判大8・12・27法律新聞1659号539頁)。

 本判決は、公害事件に関する日本最初の最上級審判決として世間から注目を集めた。その後、大気汚染や水質汚濁に関する無過失責任特別立法がなされたこともあって、現在では、公害領域におけるその先例的意義を全く失っているといわれている。

 大阪アルカリ株式会社はその後、第一次世界大戦後の不況により経営不振に陥り、差戻審判決が言い渡された日から約6年後の1926年に事業整理して解散した。問題となった工場の跡地も第二次世界大戦後に行われた安治川の拡幅工事によりできた安治川内港(弁天埠頭の近く)に沈み、役割を終えた大阪アルカリ事件大審院判決とともに歴史的なものとなった。

【参考文献】川井健『民法判例と時代思潮』(日本評論社、1981年)193-240頁、下森定「大阪アルカリ事件」『公害・環境判例(第2版)』(有斐閣、1980年)10-13頁

【図】旧大阪アルカリ株式会社の跡地のある場所


安治川拡幅工事完成前(大阪人文社・昭和40年大阪市詳図)

安治川拡幅工事完成後(大阪人文社・昭和41年大阪市詳図)
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