松山大学法学部講師 伊藤 亮平
これはとても不思議なことではあるが、今日でもしばしば起こることである。
殺人の血にまみれた者が死者のそばに寄ると、決まって、
死者の傷口から血が流れるのである。この場合もまったくそのとおりになり、
このことから人々は、罪がハゲネにあることを見てとった。
これは、1200年頃のドイツ英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の一節(1044節1-4行)です。ニーデルラントの英雄ジーフリト(ジーフクリート)は、ブルグント族の姫クリエムヒルトと結婚します。しかし、彼の巨大な力を快く思っていなかったブルグント族の重臣ハゲネは、彼を暗殺します。上記の詩節は、ハゲネがジーフリトの亡骸に近づいた時の場面です。中世には、殺した犯人が近づくと死体から血が流れるという言い伝えがありました。ジーフリトの亡骸から血が流れたことで、犯人はハゲネということが明らかとなります。
犯人と思しき人物を死体に近づけ、死体から血が流れれば有罪とする裁判は、神明(しんめい)裁判の一種です。他にも、熱した鉄を掴んでから3日後、傷が化膿していなければ無罪、手足を縛って川に投げ入れ、水に浮かべば有罪、沈めば無罪とする方法などがあります。
ドイツ中世文学には、神明裁判がしばしば登場します。1210年頃の作品『トリスタンとイゾルデ』では、トリスタンとの浮気を疑われた王妃イゾルデは身の潔白を証明するため、熱鉄による裁判を受けます。彼女は熱した鉄を掴み、神のご加護によってやけどすることなく鉄を運んだため、人々の疑念を晴らすことに成功します(実際はトリスタンと浮気をしていたのですが)。
神明裁判は、1215年の第4回ラテラノ公会議にて禁止されます。しかし、それ以降も神明裁判が行われており、教会は度々禁止令を出しました。無論、熱鉄を掴めばやけどするし、死者から血が流れないことぐらい、中世の人々も分かっています。それでも、疑いを晴らしたい、争いを解決したいという、彼らの切なる願いが神明裁判に込められているのです。中世の人々にとって、神明裁判は立証が困難な事例を解決するための厳かな儀式であり、人々の印象に強く残るものだったのでしょう。私たちからすれば、神明裁判は荒唐無稽かもしれませんが、当時の人々にはきっとドラマチックな場面として映っていたに違いありません。
『ニーベルンゲンの歌』の訳は下記より引用した。岡崎忠弘訳:『ニーベルンゲンの歌』(鳥影社)、2017年。