青森の県立高校を卒業して、夜行の急行「十和田」に乗り実家から720kmほど移動して、東京の私立大学(政経学部経済学科)に入りました。高校時代は、2年生の終わりまで具体的に大学進学を考えておらず、きちんと勉強していなかったので、受験ではたいへん苦労しました。そこで、大学では最初から真面目な学生生活を送りました。
1年生の10月には、不動産会社に勤めていた父が勝手に願書を出した宅地建物取引主任者(現在の宅地建物取引士)試験を受けさせられ、ぎりぎり合格しました。このときの成功体験や明照先生や今村先生の恩師でもある川端博先生の授業で「優」が取れたこともあり、大きな勘違いにより、3年生から司法試験(旧)を受けるようになりました。
第1関門である短答式試験は5月の第2日曜日(母の日)にありましたので、ゴールデン・ウイークは4畳半のアパートに籠って、キリキリ勉強する時期となりました。4年生でも、短答式試験すら突破できませんでしたが、基本3法を中心に法律はよく勉強しましたので、公務員試験には合格することができて、大学卒業後、まずは経済的に自立した生活をスタートすることができました。
結局のところ、司法試験には受かりませんでしたが、自由に時間を使うことができる学生生活において、しっかり勉強したことは、今でも身についていることが多く、これまでの人生に大いに役立っている、と確信しております。
大学を出て42年ほどが経ちますが、可能ならば、今すぐにでも大学生に戻りたい、そして、大学生の生活を永遠に続けたい、と思っております。
近著
『日本の労使紛争処理制度』(晃洋書房、2022)
『労働法の最前線』(晃洋書房、2020)