法学部では、何をするのか?―「法学部で学ぶ」とは?

山大学法学部教授 明照 博章

 唐突ですが、「1+1=2/5+5=10」という式があります。

 この等式は「正しい」と「感じる」ので、異論をはさむ人は殆どいません。そこで「正解には、それが提示されると、異論をはさむ人がいなくなる状況を発生させる力がある」ことにします。

 法学部では、「もめごと」を前提として、これに対処する基準や仕組みを学びます。つまり「もめごとの解決」のための「正解」を学ぶのです。

 具体的内容は「『もめごと』が生じていない『正しい状況』はどのようなものか?」「発生した『もめごと』に対して『正しい状況』を回復させる基準は何か?」「私たちは、『正しい状況』を回復させる基準をどのように用いるのか?」等です。

 ところで、上記の「正解」の定義に従えば、「正解が提示された」と同時に「もめごと」は解決するはずです。ところが現実にはそうなっていません。
 「今般の事態」もその1つです。

 仮に「国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」(日本国憲法9条1項参照)が「正解」とすれば、「今般の事態」は、発生しないはずです。しかし、発生したのです。

 日本国憲法は、「正解ではない」のでしょうか?

 ヒントを示します。
 法学は、無前提に「正解がある」とする世界観を否定した上で、「正しい世界観(基準)」を前提として「正解がある」ことを説明する営為である、という命題です。

 この命題を「理解する」ためには、「思考の組替え」が必要です。
 大学4年間を使って実践してみてはどうでしょうか?

 最後に、法学を学ぶ上での初歩的な注意事項を示します。

 法学部では、「日本語」を用いて授業を行います。しかし、その「日本語」は、「日常用語と同じ意味」とは限りません。

 上述の「1+1=2/5+5=10」が正しく「感じる」のは、私たちは、概ね「10進法」で生活しているからです。仮に、2進法なら、「0,1,10,11…」となるため、「2,5」は存在せず、「1,10」の意味も、2進法と10進法では異なります。

 法学部の授業の分かりにくさは、比喩的に言えば、学生は「10進法」を前提として聞いていたのに、教員は「2進法」を前提として説明していたという事態に起因します。

 法学部の授業では、上記の事態が頻繫に生じます。「心が折れる」こともあると思いますが、乗り越えてみてはどうでしょうか?


近著
『川端刑法学の歩み―主客反照の視角から』(成文堂、2022年)明照博章・今村暢好編著

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