松山大学法学部教授 内海 淳一
学生(大学院)時代、ある先輩から「学問は貴族の道楽」であったと言われた。確かに、歴史をみれば、生活に余裕のある人たちの知的好奇心から学問は発展してきたという側面がある。すなわち、「遊び」と「学び」が一体化していた。
さて、現代社会において、遊びの一環として学問の追究(勉強)は、非常に難しいと思われる。目まぐるしく変化する社会情勢のなか、複雑・多様化している日常生活においては、時間がゆっくり流れていた時代とは異なり、学問を遊びとして楽しむ物理的・精神的余裕はない。そうすると今日では、遊びとしてストレス発散し、勉強に励むことになるのか・・・
私は、大学院生のとき、指導教授からの遊びのプレッシャーを心地よく感じていた。私の恩師は、7月になると、「前期授業の打ち上げは・・・?」とか「夏休みは、どこか温泉に行きたいね!」と囁くので、自然な流れで具体的な遊びの計画が私の任務となっていた。そして、秋の行楽シーズンでは紅葉狩り、年末は忘年会、さらに後期授業終了後の春休みには名湯めぐりなど、常に楽しむ(日常のストレス発散)ためのイベント(遊び)を考えていた院生時代であった。しかし、とある夏の温泉旅行の帰路の車中で、恩師が「2日間勉強してないなぁ」とボソッと呟いたことがあったが、この言葉には「あしたは勉強しよう!」の意味が込められていると思った。「遊んだら学ぶ(学ぶために遊ぶ)」を悟った瞬間だった。遊びも真剣にやれば、その反動で勉強にも集中できるとの考えが芽生えた。
こうして大学院時代は、先輩や同級・後輩と思う存分遊んだ結果(ここでは言えないような事も含め)、皆研究者として、ある先輩は司法試験考査委員(W大教授)に、またある後輩は博士号(ウィーン経済大)を取得、さらには公立大学副学長(M大教授)で活躍するに至っている者もいる。これらは、遊んで勉強した賜物なのか・・・
今から4年前、当時法学部3年の71歳の学生(元海運会社社長)から、「勉強は楽しい」、「予習で徹夜しても苦にならない」と言われた時は、忘れていた「学ぶことは、遊ぶこと」を改めて思い出し、もう一度、真剣に遊んでみようと思った。