多数説×少数説

松山大学法学部准教授 今村 暢好

 アンケート調査などが代表的な例ですが、ある事柄について人々の意見が一致せず、肯定派と否定派、積極派と消極派に意見が分かれたりすることがよくあります。その分かれた意見の中で、多くの割合を占める集団を多数派、少数の割合を占める集団を少数派、と呼ぶことが一般的です。たとえば、使用するパソコンであれば、Windows派とMac派とがあり、Windows派が多数派となっています。

 学問領域の世界においても、争点となる問題に対して、研究者たちの意見が多数派と少数派に分かれることはよくあります。とくに学説対立の場面においては、これらを「多数説」と「少数説」と称して、多くの争点で論争が生じています。このような論争などを経て、ある見解がその分野で圧倒的な多数説として支配的見解に至った場合は「通説」と呼ばれる場合があります。

 刑法の分野で例を挙げるならば、過失犯の処罰規定には「過失により」という文言が必要であるか否か、という争点があります。文言が必要であるとする見解が、刑法学者の中では圧倒的な「多数説」であり「通説」となっています。これに対して、個別領域に定められた特別刑法(刑法典以外の刑法)領域においては、法の趣旨が過失処罰を予定している場合は「過失により」という文言がなくても、過失犯を処罰できるとする見解が、少数説として存在しています。私もこの少数説を支持しています。

 多数決の原理からすれば、多数説が=採用=正解となりそうですが、もちろん、多数説が正しいとは限りません。法律学においても、少数説の見解が裁判所に採用される場合もあります。

 先に挙げた争点についても、これまでの最高裁判所の判断には、「過失により」という明文がなくとも「法の趣旨」から過失犯処罰を認める(少数説の)見解を採用したものが、いくつも存在します。もちろん、最高裁が採用した見解だからといって、=正しいというわけではありません。少数説は、可能な限りその根拠を明らかにして、他の研究者たちにうったえかけて、より多くの理解を得られる努力をし続けなければなりません。また、なぜ多数説が少数説を採らずにその考えに至ったのかを把握し、丁寧に反論を重ねていく必要があるのです。

 【写真Apple「Newton MessagePad 130」

 Apple社が1990年代に開発・発売した「Newton」シリーズは、専用OSを搭載の多機能デバイスでした。しかしながら、デジタル業界では全くの「少数説」に留まり、手のひらサイズの多機能電子デバイスから撤退を余儀なくされました。しかし、Appleは、Newtonの失敗に挫けることなく、その10年後には「iPhone」を発表し、現在に至る同シリーズは、日本のスマートフォン界で「多数説」となる地位を築いています。

(筆者所有のNewtonと比較のボールペン)


Newton MessagePad 130

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