松山大学法学部教授 銭 偉栄(セン ヨシハル)
1947年10月11日、食糧管理法違反などの経済事犯を裁く立場にある者として、自らを厳しく律し、ヤミ市の食糧に手を出すことを拒み、一家4人で配給の食料のみでの生活を続けた結果、栄養失調で命を落とした裁判官がいます。山口良忠(1913―1947年)、東京地方裁判所判事です。
山口判事の死は戦後社会に大きな衝撃を与えました。生前は「聖人」と呼ばれ、死後は「昭和のソクラテス」と称えられたその生き方に対して、評価が分かれるところではありますが、近年ではNHK連続テレビ小説『虎に翼』に登場する花岡悟裁判官のモデルになったともいわれるなど、その人物像と生涯は、今もなお広く語り継がれています。
山口判事は1934年に京都帝国大学(現・京都大学)法学部に入学し、大学院在学中に高等試験司法科本試験に合格しました。そして、翌1939年に司法官試補として事務研修に入り、念願の司法官としての第一歩を踏み出しました。1940年12月には横浜地方裁判所の予備判事に任命され、その後、甲府地方裁判所判事を経て、1942年7月、東京区裁判所判事兼東京民事地方裁判所および同刑事地方裁判所判事に補せられました。
戦後の日本は、戦前にも増して深刻な食糧難に直面していました。戦時中に導入された食糧統制は戦後も継続されましたが、絶対的な供給量の不足などの理由から、遅配や欠配が常態化していました。多くの人々は「生きる」ためにヤミ市に頼らざるを得ませんでしたが、食糧統制に違反するヤミ行為は、単なる経済事犯としてではなく、占領軍に対する敵対行為とみなされるようになり、その取り締まりも次第に強化されていきました。そのような情勢の中、山口判事は1946年10月初め、東京区裁判所第14刑事係、すなわち経済事犯専任判事(単独判事)に任命され、ヤミ米の所持などにより食糧管理法違反で検挙・起訴された被告人の事案を担当することになりました。その前後、山口判事は夫人に対して次のように語ったといわれています。
「私はよい仕事をしたい。判事として正しい裁判をしたいのだ。経済犯を裁くのに闇はできない。闇にかかわっている曇りが少しでも自分にあったならば、自信がもてないだろう。これから私の食事は必ず配給米だけで賄ってくれ。倒れるかもしれない。死ぬかもしれない。しかし良心をごまかしていくよりはよい」。
もっとも、山口判事は自らの考えを家族に押し付けることはありませんでしたが、結果として一家4人で配給のみの生活を続けることになりました。それから1年足らずの1947年8月27日、山口判事はついに裁判所の階段で倒れ、郷里の佐賀県に帰って療養することとなりましたが、その甲斐もなく、妻と幼い2人の子どもを残してこの世を去りました。
その第一報を伝えた1947年11月4日付の朝日新聞西部本社早版には、いわゆる「病床日記」が掲載されています。
「食糧統制法は悪法だ。しかし法律としてある以上、国民は絶対にこれに服従しなければならない。(中略)自分は平常ソクラテスが悪法だとは知りつつもその法律のために潔く刑に服した精神に敬服している。今日法治国の国民には特にこの精神が必要だ。自分はソクラテスではないけど食糧統制法の下喜んで餓死するつもりだ。敢然ヤミと闘って餓死するのだ」
戦後の極端な食糧難の中、山口判事もまた他の人々と同じように、「法」を守って死ぬのか、それとも生きるために「法」を破るのかという生と死の極限的な選択を迫られていました。もちろん、裁判官を辞めて弁護士など別の道へ転じるという選択肢もあったはずです。しかし、山口判事はほとんど迷うことなく裁判官の職にとどまり、自ら「悪法」と呼んだ食糧管理法に殉じる道を選びました。
剣を持って生きるために「法」を破った人々を裁きながら、自らは生きるために同じ「法」を破る――それは明らかに公平を失することであり、テミスの女神が許さないことです。山口判事は、そのことを誰よりも強く、そして厳格すぎるほど受け止めていたのではないでしょうか。
ところで、「悪法もまた法なり」という格言は、かつて死刑判決を受けたソクラテスが友人からの脱獄の勧めを拒絶した際に述べた言葉として広く知られています*。山口判事もまた、それをソクラテス自身の言葉であると固く信じ、その理念を自らの生と死をもって実践したに違いません。
* もっとも、近年の研究では、ソクラテス自身がこの言葉自体を述べたことを示す直接的な史料は確認できないとされている。
【主な参考文献】
* 山形道文『われ判事の職にあり』(文藝春秋、1982年)
* 萩野章『敗戦後の犯罪の実情について(経済犯の部)』法務研究報告書第37集1(法務府法制意見第四局、1949年)
* 加来彰俊『ソクラテスはなぜ死んだのか』(岩波書店、2004年)
* プラトン/三嶋輝夫・田中享英訳『ソクラテスの弁明・クリトン』(講談社、2000年)
* 1974年10月15日付佐賀新聞創刊90周年記念連載企画「歴史をつくった佐賀人」第15回「昭和のソクラテス 山口良忠」
* 徳本栄一郎「『プリンシプルの男』か「狂人」か 遺族が明かす餓死判事の死の真相 戦後70年企画」週刊朝日2015年10月30日号116頁(朝日新聞クロスサーチ)