松山大学法学部教授 銭 偉栄(セン ヨシハル)
古典落語の演目に、「しわいや」というものがあります。これは、度を越したケチな人物ばかりが登場する滑稽な噺(はなし)のオンパレードです。
その中の一つに、こんな話があります。
ある時、がたつく雨戸を修理しようとした旦那が、小僧に隣家から金づちを借りてくるように言いつけました。小僧はすぐに出て行きましたが、しばらくして手ぶらで戻ってきます。
「どうだ、貸してくれたか」
「いいえ、貸してくれません」
「なに、金づちもないのか」
「いえ、あるそうでございます」
「あるのに貸さない? どういうわけだ」
「はい、竹の釘を打つのか、それとも鉄(かね)の釘を打つのかと聞かれまして・・・・・・」
「それで?」
「『鉄の釘だ』と答えましたところ、『鉄と金づちがぶつかると金づちがすり減る。そんなことには貸せん』とのことでございます」
これを聞いた旦那はあきれ返ってこう言いました。
「なんとけちなやつだ。そんなやつから借りることはない。・・・・・・仕方がない、うちの金づちを出して使え」
どちらがケチなのか分からなくなるオチですが、それはさておき、ここでは、「金づちの貸し借り」を民法の視点で考えてみたいと思います。
金づちで鉄の釘を打てば、物理的には金づちもわずかながら損耗します。隣人の言い分は、全く根拠がないわけではありません。しかし、その損耗は通常極めて軽微であり、使用後に返還される金づちは、貸し出した時点と実質的に同一の状態にあると評価できます。
このように、無償で物を借り、使用した後に「その物自体」を返還する契約を「使用貸借(しようたいしゃく)」(民法593条)と呼びます。金づちのほか、大学で使う六法の貸し借りなども、これに該当します。
これに対して、無償での消しゴムの貸し借りはどうでしょうか。
消しゴムは、金づちや六法とは異なり、使えば使うほど「本体の分量」が確実に減少する性質を持っています。したがって、使用後には、借りた時と全く同じ状態で返還することは不可能です。この意味では、消しゴムの貸し借りを単純に「使用貸借」と捉えるには無理があります。
では、「消費貸借(しょうひたいしゃく)」(民法587条)でしょうか。消費貸借とは、借りた物それ自体を消費し、それと同種・同量・同質の物を返還する契約です。しかし、日常的に消しゴムを借りる場面では、減った分を補って返すことまでは通常予定されていません。したがって、これをそのまま消費貸借と構成するのも適切ではありません。
さて、消しゴムの貸し借りはどのような契約と捉えるべきでしょうか。
当事者の合理的な意思解釈によれば、「社会通念上相当な範囲での使用によって減少した分については、無償で相手方に譲渡する(贈与。民法549条)、という特約付きの使用貸借」と構成するのを妥当するのが私見です。学生の皆さんはいかがお考えでしょうか。