松山大学法学部講師 伊藤 亮平
皆さんは本を読んでいますか?
読書と聞くと、皆さんの中には夏休みの読書感想文がなかなか書けなくて苦労したという、ちょっと苦い経験を思い出す人もいるかもしれません。「面白かった」、もしくは「つまらなかった」という言葉以外に何も思いつかず、原稿用紙を前にしたまま、いたずらに時間だけが過ぎていくことの焦りや空しさ。このときほど、自分のボキャブラリーの乏しさを痛切に感じることはないでしょうか。
本を読んで感じたことを言葉にする、つまり自分自身の内的体験を言語によって表出する行為はなぜこんなにも難しいのでしょうか。自分の思いにぴったりくる言葉がなかなか見つからず、ようやく出てきた言葉は何と拙くて安っぽく響くことでしょう。友達同士ではつい、「マジ」、「ウケる」などの、わずかな単語を使って会話をしてしまうのは、ひょっとすると自分の思いを上手く言葉にできないもどかしさを避けたいからなのかもしれません。
ところで、そもそも「言葉」とは何なのか、皆さんは考えたことはありますか。
果たして「言葉」は本当に、私たちの感じている思いを的確に表すことができるのでしょうか。それから、紡がれた「言葉」を「読む」という行為、すなわち「読書」とは一体何でしょうか。(関心の持たれた方は、フェルディナン・ド・ソシュール、ジャック・ラカン、ローベルト・ヤウス、ヴォルフガング・イーザー等の著作を「読む」ことをお勧めします)。
私たちは普段何気なく本を読み、相手と言葉を交わします。しかし、「言葉」とは何か、「読む」とは何かを、ふと考えたとき、その答えを出すことは容易ではありません。私たちは謎に満ちあふれた日常生活を送っているのです。その日常に対して問いを立てたとき、今まで見ていた景色が変わり始めます。当たり前と思われていることに対して、「本当にそうなのだろうか」と疑問を持ってみてください。そして試行錯誤を繰り返しながら、自分なりの答えを大学生活の中で見つけ出してみて下さい。