大正時代、鉄道の主役はまだ蒸気機関車だった。国家戦略上重要な役割を果たす蒸気機関車ではあったが、走りながら火の粉や煤煙をまき散らし、鉄道沿線の住民生活や自然環境への負担は大きい。「信玄公旗掛松事件」がそれを象徴する事例だといえよう。
現在のJR中央本線日野春駅の近くに、武田信玄が軍旗を立て掛けたという言い伝えのある老松が生えてあった。その後、国がそのすぐ横に鉄道線路の本線および回避線を敷設したため、老松は、本線を通過するおよび回避線に停留する機関車から発生する煤煙、蒸気および震動などの影響により枯死した。そこで、老松の所有者は1917年に、その鉄道を所有していた国を相手取って損害賠償請求の訴えを提起した。大審院(大判大8・3・3民録25輯356頁)は国の上告を棄却し、その不法行為責任を認めた。判旨の一部を以下に引用する。
①「汽車ノ運転ハ音響及ヒ震動ヲ近傍ニ伝ヘ又之ヲ運転スルニ当リテハ石炭ヲ燃焼スルノ必要上煤煙ヲ付近ニ飛散セシムルハ已ムヲ得サル所ニシテ注意シテ汽車ヲ操縦シ石炭ヲ燃焼スルモ避クヘカラサル所ナレハ鉄道業者トシテノ権利ノ行使ニ当然伴フヘキモノト謂フヘク蒸汽鉄道カ交通上缺クヘカラサルモノトシテ認メラルル以上ハ沿道ノ住民ハ共同生活ノ必要上之ヲ認容セサルヘカラス」。
②「本件松樹ハ鉄道沿線ニ散在スル樹木ヨリモ甚シク煤煙ノ害ヲ被ムルヘキ位置ニアリテ且ツ其害ヲ予防スヘキ方法ナキニアラサルモノナレハ上告人カ煤煙予防ノ方法ヲ施サスシテ煙害ノ生スルニ任セ該松樹ヲ枯死セシメタルハ其営業タル汽車運転ノ結果ナリトハ云ヘ社会観念上一般ニ認容スヘキモノト認メラルル範囲ヲ超越シタルモノト謂フヘク権利行使ニ関スル適当ナル方法ヲ行ヒタルニアラサルモノト解スルヲ相当トス」。
本件判決は従来、権利の濫用を理由に不法行為責任を認めた先例の1つとして引用される場合が多かった。日本における権利濫用の法理の形成に重要な役割を果たしたことには疑いを入れる余地はないが、上記のような位置づけに対して早くから疑問が呈された。今日では、この判決を「受忍限度論登場に至る過渡的なもの」(大村)とみる見解が有力である。
日野春駅の駅舎を出て左手に、高さ約4メートルある記念碑が天を衝く剣のように立っている。
【主な参考文献】川井健『民法判例と時代思潮』(日本評論社)、大村敦志『不法行為判例に学ぶ』(有斐閣)