「松山大学法学部の歩み」拾遺

松山大学法学部教授 銭偉栄法学部長

一 松山大学の誕生

 松山大学の歴史は、今からさかのぼって94年前の1923(大正12)年3月3日に創設された松山高等商業学校(以下、「松山高商」という)に始まる。初代校長には、今回の講義の主人公である加藤彰廉先生が就任した。

 松山高商設立当初の予算定員は1学年で50名、3学年で150名とされていた(彰廉65)。初めての入学式は、同年4月25日に、北予中学校(現県立松山北高校)の講堂で挙行された。授業もまた、1924年4月15日新校舎に移転するまでの間、北予中学校の校舎の一部を借りて行われていた(彰廉74)。北予中学校の校舎の一部を借りることにしたのは、当時、北予中学校とは緊密な関係にあるからだと推測される。加藤彰廉先生は当時、北予中学校の校長をしていたこと、松山高商と北予中学校の併置の話も一時期上がっていたこと(彰廉65)だからである。ところが、1924年2月15日に、彰廉先生は、高齢(「両校の責任を持つは老体の到底堪えざる処である」(井上)を理由に、北予中学校長を辞任した。

二 校訓「三実」(真実・実用・忠実)の由来

 1924年10月10日、新校舎で開校式が挙行された。加藤彰廉先生はその式辞の中で、松山高商の教育方針について、次のように述べている(彰廉77)。

 「本校の教育方針に就ては学理の研究は申す迄もありませぬが、徒らに空論に馳せて実地に遠ざかり、或は詰込主義に偏して運用の才を缺くが如きは之を排し、学生をして勤勉(・・)努力(・・)着実(・・)剛健(・・)学理と相俟って(・・・・・・・)進取活動的有用(・・・・・・・)の材幹たらしめんと欲するのであります」(カタカナをひらがなに直した。傍点は話者)

 「勤勉(・・)努力(・・)着実(・・)剛健(・・)学理と相俟って(・・・・・・・)進取活動的有用(・・・・・・・)」。この言葉から、彰廉先生が育てようとしている人材像が鮮明に浮かびあがっている。これがのちに校訓「三実」へと進化していったと思われる。

 1926年4月12日発刊の松山高商新聞第9号の1面には、加藤彰廉校長は同年3月8日の第1回卒業式席上で、「実用Useful・忠実Faithful・真実Truthful」を校訓として宣言したと記されている。

 「右の校訓を要約して三実と呼び又用忠真U.F.T.とも称し、智徳体なる静的なるに比して用忠真は動的にして、実業界に雄飛すべき本校学生に対する校訓としては誠に麗はしきものと言ふべし。」

 いまの校訓「三実」の並び方と違っていることにお気づきであろう。いつから、どのような理由で並び方がそのように変わったかは今後の考証に委ねることにしよう。

三 加藤彰廉先生の人物像

 以下において、彰廉先生にまつわるエピソードを若干紹介し、特に「忠実」にスポットを当てて考えてみたいと思う。

1 二つのエピソード

 一つは1893年11月、先生が教授を務める山口高等中学校(現山口大学経済学部)で寄宿舎事件が起こった際のことである。同校校長および先生と親交のある谷本富教授ら3人が事件の責任を取って辞表を提出したときに、先生も行動を共にしようとしたが、谷本教授に固く押しとどめれ、しばらく留任することになった。しかし、友誼に厚く、信義を重んずる先生は留任することをよしとせず、わずか数か月後に、決然として同校を去った。

 もう一つは1923年3月、本学の前身である松山高等商業学校の創設に伴い初代校長に就任するときの話である。先生は衆議院議員任期途中の1916年3月に、井上要・加藤恒忠・新田長次郎らの再三にわたる要請に応じて北予中学校(現愛媛県立松山北高校)の校長に就任した。松山高等商業学校の初代校長に就任するや否や、先生は、「両校の責任を持つは老体の到底堪えざる処である」ことを理由に、翌年の2月に同校長を辞任した。

2 加藤彰廉先生にとっての「忠実」とは何か

 先生は生涯「忠実」を貫き、身をもって校訓「三実」を実践してきた。「忠実」とは、「他人に忠実である」ことを指す場合が多い。たとえば、法人に対して理事や取締役などの執行機関が法律上負うべき「忠実義務」における忠実とは「他人に忠実である」ことを意味する。しかし、右記2つのエピソードからも分かるように、先生にとっての「忠実」とは、「他人に忠実である」とともに、いや、それ以前に「自分自身に忠実である」ことを意味するものといえるのではないだろうか。

3 「慈父」の如く慕われていた先生

 1915年2月、先生が約20年間勤めていた市立大阪高等商業学校(現大阪市立大学)の校長の職を辞した際に、まるで「慈父を喪ったように」、涙を流しながら先生の去るのを深く惜しんだ在学生らが校庭内に景慕の碑を建立し、先生をこう讃えた。

 「仰瞻此碑者當知師道之尊也。師者誰。加藤君彰廉其人也。君為人溫雅寬厚。深沈淵默。謙虚容物。方正自持。不倦不厭。諄諄之誠。感孚人心。」(大意:この碑を仰ぎ見る者は、師道の尊しを知るべきである。師たる者は誰か。加藤彰廉先生である。先生は人となり温雅かつ寛厚、深沈かつ淵黙、謙虚かつ寛容、方正かつ自制、うまずいとわず、分かるように繰り返し教えさとすその誠は、人々の心を深く感動させた。)