松山大学法学部教授 山内 讓
私の研究テーマの一つは、海賊です。海賊といっても、「パイレーツ・オブ・カリビアン」や「ワンピース」の研究をしているわけではありません。日本の中世に実在した海賊です。ところで、その海賊について皆さんはどのようなイメージを持っていますか。海の無法者、略奪者などのイメージを持っている人も少なくないのではないでしょうか。でも、これらはいずれもカリブ海や大西洋で活動したパイレーツのイメージであって、日本史上の実在の海賊は、これとは全く別の存在です(外国のパイレーツという言葉を、日本史上で実際に使われた「海賊」という言葉で翻訳したことによって両者のイメージが混同してしまったのは残念なことです)。
それでは、日本史上の実在の海賊とはどのような存在だったのでしょうか。瀬戸内海を船で旅した人の記録を読んでいると、ある特定の海域に接近すると海賊がやってきて金銭を要求するということがしばしばみられます。そのような場合、船頭が支払う金銭の額について海賊と交渉することになりますが、その金銭を、支払う側は「礼銭」と呼んでいます。金銭を奪われる側がそれを「礼銭=お礼の銭」と呼ぶのは、航行する船舶が通過する海域が、海賊のテリトリー、いいかえれば彼らが長い間に形成してきた生活の場であったからだと考えられます。彼らの縄張り=生活の場を通行させてもらうから、その代償として礼銭を支払う。このような事情があったのではないでしょうか。つまり、旅人たちが海賊に支払う金銭は、一種の通行料であったわけです。そうすると海賊の行為は、場合によっては略奪のように見えることもありますが、彼らの側からみれば、正当な経済行為ということになります。こうしてみると、海賊は当時の社会においては必ずしも法を逸脱した無法者というわけはなかったようです。中世の社会には、現代とはかなり異なった慣習法の世界があったようで、そのようなものが時代とともに変化して、現代の法律ができあがったといえます。
海賊をキーワードにして中世の法の世界の一面を紹介しましたが、松山大学法学部は、そのようにしてできあがった現代の法制度の多様な内容や歴史についてより深く学ぼうとする皆さんに、さまざまなてがかりを提供してくれることと思います。