無言館と戦争のこと

松山大学法学部教授 古屋壮一

 現行日本民法第521条は、次のように規定する。

(契約の締結及び内容の自由)
何人も、法令に特別の定めがある場合を除き、契約をするかどうかを自由に決定することができる。
2 契約の当事者は、法令の制限内において、契約の内容を自由に決定することができる。

 この規定は、それぞれの人が他者と契約を締結するかどうかを自由に決定することができ、また、他者とする契約の内容をどのようなものにするか、場合によっては民法の規定に従うことなく任意に定めることができることができるという、「契約自由の原則」を宣言したものである。法学部1年生の段階でも説明されることが多い本条は、経済活動の活性化を実現しようとするものである。もちろん、本条自身が明らかにしているところであるが、たとえば労働契約のように契約当事者間に経済的社会的な強さの差がある場合には、「契約自由の原則」が労働基準法等の特別法によって修正されることになる。まとめると、本条は、「他者を害しない限り、人は契約について自由であること」を規定するものであり、もう少し広く言うならば、「他人を害しない限り、人は自由に行動して幸福を追求することができること」を示すものである。本条は、現行日本民法典の原型をつくったボアソナードが民法を一言で表現するならば「人を害するなかれ」であり、「他人を害さないようにしながら最大限自由に生きることを希求するもの」となるとしたことと接続する(注1)。

 冒頭に現行日本民法第521条のことを書いたのは、2026年3月に長野県上田市にある『無言館』にて太平洋戦争で戦死した画学生の絵画を観ることができたからである。展示されている戦死した画学生の絵画をすべて観終わった後に私の心に届いたのは、「ただただ大好きな絵を描くことに専念したかった」という画学生の声であった。特に、数寄屋橋の絵を描き続け、出征の前日にも数寄屋橋の絵を描きに出かけたという伊勢正三さんの『数寄屋橋界隈』と題する作品からは(注2)、このメッセージを強く受け取ったように思う。絵画を描くことは他人を害することなどなく、どこまでも自由に描き続けることができるはずであるのに、国家による戦争が、制限されてはならない画学生の自由を完全に奪い取った。画学生の作品の中には戦地におけるスケッチも含まれており、戦場にてほんのわずかに与えられた絵を描く時間を慈しんだ画学生が目に浮かんだ。

 『無言館』を出た私に思い出されたのは、特攻隊員であった祖父のことであった。画学生と同様に学徒出陣によって出征した祖父は、生前戦争について多くは語らなかった。私は、なぜか「自分は旅客機が大きく揺れてもあまり怖くはない。戦争中は比較にならないほど揺れる特攻機に乗っていたから。飛行機に乗るのは嫌いではないんだ。」という言葉をよく覚えている。特攻による死を覚悟してもなお、1人で特攻機に搭乗して訓練のために青い空を飛び回っていた祖父は、もしかするとその瞬間だけは何者にも奪われることのない自由を感じていたのかもしれない。しかし、祖父もまた、大学で法律学を学ぶ自由を国家によって不当に奪われた。松山大学の前身である松山商科大学第2代学長も務めた民法典論争研究で有名な星野通博士は戦前、学生の身を心から案じ「戦争に行くな、日本は負ける」と言ったことから、特別高等警察に拘束されそうになったという(注3)。星野通博士の思いもまた踏みにじられ、国家が学生から学ぶ自由も奪っていった。

 太平洋戦争の終戦から81年目となり、戦争を体験した方々にお会いすることが実に少なくなった。私自身も戦後に生を受けた人間であり、戦争を体験してはいない。しかし、民法における当然の原則の適用が不完全になった時にこそ、人が理不尽なかたちで自由を奪われ、生命さえも失うことになりかねないということを歴史を通して理解することはできる。一貫して反戦の声を上げつづけた美輪明宏さんの訃報に接し、「他人を害しない限り、人は自由に行動して幸福を追求することができる」という民法の原則とその普遍的な価値をあらためて思い返している。

ササユリ

(注1)池田真朗『新標準講義民法債権各論』(全訂3版)(慶應義塾大学出版会、2025年)252-253頁を参照。
(注2)窪島誠一郎『無言館ノオト』(集英社、2001年)61-62頁を参照。
(注3)宮下修一「『民法典論争資料集』の復刻増補作業について」松山大学法学部松大GP推進委員会編『シンポジウム『民法典論争資料集』(復刻増補版)の現代的意義』(ぎょうせい、2014年)130頁を参照。

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