裁判制度が存在する理由

松山大学法学部教授 明照 博章

 最近、些細な行き違いから裁判沙汰に発展するケースが多くなってきたので、裁判制度(特に民事)が存在する理由について、考えてみたいと思います。

 日常生活には、トラブルがつきものです。

 Aは、期限が来ても、Bから借りた10万円を返さない。

 これは1つのトラブルです。AとB双方がを尽くして話し合った結果、折り合えば、トラブルは円満解決となります。しかし、折り合えないこともあります。そして、折り合えない理由は、「人間関係の不調」によるものが殆どではないでしょうか?

 では、そもそも日常生活を送る上で「人間関係を築く必要がある」のでしょうか?
 「人間関係を築く必要性」に関して、「(進化の過程で)人類は、他人の力を借りて(他人と協力して)生きていくことを選択した」と言われていますが、これを端的に示す言葉として、「人間は社会的動物である」というものがあります。

 では、「人間関係を築く必要がある」として、「人間関係の不調」による「トラブル」の「解決策」にはどのようなものがあるでしょうか?
 1つの方策として、「実力(暴力)に基づく解決」があり、これは、統治機構(例えば「近代国家」)が存在しない又は十分機能していない場面では、有効であったし、さらに言えば、それ以外の解決方法はなかった可能性すらあります。「話し合いでは埒があかない」場面だからです。

 では、現在はどうでしょうか?
 現在、「実力に基づく解決」は原則禁止です。
 解決方法としては、「話し合い」があり、これによって「人間関係の不調」が解消されない場合、裁判による解決(法律に基づく解決)になります。
 「話し合い」により紛争が解決された場合、当事者は「ある程度相互に譲歩して」折り合っていることが多いと思います。
 「話し合いでは埒があかない」場合、「裁判沙汰」となるわけです。
 裁判による解決は、紛争当事者双方にとって概ね「不満足な結果」となり、紛争当事者の人間関係にも大きな禍根を残すことになると思います。にもかかわらず、裁判制度があるのは、「実力を用いた解決」よりは「まだ幾分良い」からだと思います。「裁判による解決」の結果として、「人が死ぬこと」は予定されていないからです(刑事裁判は、事情が異なりますが…)。

 以上が「裁判制度が存在する理由」の一つです。これ以外にも理由はあると思いますので、皆さんも考えてみて下さい。

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