儒学と企業組織論

松山大学法学部教授 王 原生

 爽やかな秋、登山によい季節を迎えた。昨秋高縄山散策したことを思い出した。高縄山山頂付近「高縄寺」に大原観山先生の詩碑「遊高縄」が置かれている。詩碑背面の説明文に大原先生の略歴(大原観山は儒学者、加藤家に生まれ、大原家の養子となり大原家を継いだ)が記されていた。儒学と養子制度から、儒学の「孝」倫理および「家」制度を連想した。そして、日本と中国の株式会社機関の権限分配や運営および関係する裁判実務等の差異に関する根本的な原因はそこに由来したものではないかと考えていた。

 中国と日本の家族に関して、最も際だった差異は血縁原理の地位にある。その差異の由来は儒学の核心概念「孝」倫理であった。中国「孝」観念の根底は、親子の血縁関係という人倫秩序である。そのような「孝」倫理に基づいて、中国の家族構成が血縁関係を基礎に成立つ、血縁関係原理を越えることは、基本的にはありえなかった。このような儒学の人倫秩序から形成した思想風土と中国社会構造の変化に相互影響し合って、現代企業組織の運用について具体的な新手法が現れるのか、興味あるところである。

 一方、日本固有の家制度は、すでに儒学の「孝」倫理が日本に展開される前に確立されていた。そのため、「孝」倫理は、日本人の社会意識や家族行動を大きく変化させることはなかった。日本「家」制度の構造上、血縁関係のある成員だけではなく、養子制度という血縁の擬制することを通じて、非血縁関係の他人も家族を継ぐことを可能にし、それによって「家」は商家などに見られるように容易に、「企業」へと転化していくことができた。こうした非血縁的な日本の家族構造が、産業化に機能的に働いた。また、社会においては「講」の集団といった組織の存在は、大衆の階層ですら、身分血縁関係に縛られない結社に慣れていたことから、見知らぬ者同士が資本を拠出しあって社団を構成するという会社制度を、あまり違和感なく継受することができた。

 法は社会において人間の生活とともにある。人間の生活は特定の時代に特定の場所においてしか存在しえないので、人間の歴史的社会性をも深く顧慮しなければならない。具体的な法制度を比較する際には、同じ概念であってもその実際な運用においては違いがあっても不思議ではない。その背後にある歴史・文化・思想風土の違いがあるからであろう。

高縄寺
遊高縄
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