私が韓国憲法を研究する理由

松山大学法学部准教授 牧野力也

 以前の記事で、私が韓国(ひいては韓国憲法)に関心を持つことになった「出会い」について触れたので、今回は、私が韓国憲法の研究を継続している理由についてお話しします。
 前の記事でも触れましたが、日本における韓国憲法の研究者はそれほど多くありません。明治憲法や現行日本国憲法が欧米由来の立憲主義憲法の流れをくむものであるため、憲法学の領域で研究対象とされる国はアメリカやドイツが最も多く、次いでフランスやイギリス、スペイン、カナダなど欧米諸国が続きます。アジア諸国の中では韓国憲法の研究者は多い方ですが、アメリカやドイツとはさすがに比較になりません。なので、私はこれまで「なぜ韓国憲法を研究しようと思ったのですか?」とか「韓国憲法にはどういった特徴がありますか?」といった、アメリカやドイツの憲法研究者がおそらく一度もされたことがない質問を受けることがしばしばありました。それぐらい、韓国憲法を研究する意義は(今のところは)研究者一般に周知されていないようです。
 一方で、私自身も、初めの頃は韓国憲法について研究する意義をはっきりと自覚していませんでした。せいぜい、「他の人があまり注目していないスキマ産業だから、今のうちに参入したら何か得をするかも」ぐらいのものだったと思います。研究を継続するモチベーションとしてはちょっと薄いですよね。こういった意識のままだったら、今頃は研究をやめて別の道に進んでいたかもしれません。

 そんな私の意識を変えたのは、院生時代の恩師のこんな言葉でした。
 「人類がなぜ月について研究するのかというと、月や宇宙のことをもっと知りたいからというだけでなく、月の研究を通して地球のことを客観視するためだよね?韓国憲法を研究する意味もそのあたりにあるんじゃないかな。」

 私たちは、日々の学びやメディアを通じて日本国憲法がどういった規範であるかを知ることができます。しかし、日本が憲法の理念をどれくらい実現できているのかを知ろうとすると、日本国憲法を学ぶだけではなかなか難しいものがあります。憲法学者が日本国憲法と深い関係を持つ欧米の憲法について研究するのは、普遍的な価値を共有する立憲国家の「先輩たち」の憲法実践を参考にすることで、今後の日本の憲法実践をより良いものにしていくためだと言えます。
 他方で、自由や平等といった普遍的な価値の実践には幾筋もの道(あるいは地域性)が存在します。例えば、「同性婚」が欧米や南米などで速やかに受け入れられている半面、儒教文化圏であったアジアではなかなか受け入れられないことがその一例です。受け入れが進まないのは、何もアジアの人権意識が欧米と比較して格段に劣っているからというわけではなく、家(イエ)の秩序や存続を重視してきた儒教文化と欧米由来の個人を尊重する文化を「調整している」段階だからと思われます。
 もし日本の憲法学者が欧米の憲法学だけにしか関心を示さないようになってしまうと、欧米の憲法実践の在りようと日本の現実とのギャップをネガティブに捉えてしまうことになりかねません。しかし、ひとりひとりの人に「自分に合った生き方」があることと同様に、国にも「自分のペース」というものがあるのではないでしょうか。「欧米」と「アジア」というグラデーションの差を理解しつつ、目指すべき「普遍的な価値の実現」に向けて自分のペースで取り組んでいくうえで、歴史的にも文化的にも日本と近い国である韓国は、ある意味で「欧米以上に日本にとって適切な憲法実践の比較対象」なのです。

 というわけで、私の場合、韓国憲法の研究を継続できたのは、単にそれが面白いと思ったからというだけでなく、研究する意義を自覚したことが大きな理由だったというお話でした。

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