韓国憲法から学んだこと ―「伝統」と「人権」の関係―

松山大学法学部准教授 牧野力也

 前の記事で「私が韓国憲法を研究する理由」について書いたので、今回は私が韓国憲法を研究する中で学んだことを一つ紹介しようと思います。

 まず前提として、学問上で日本国憲法と他国の憲法を比較する時、注意すべきことがいくつかあります。第1に、何でもかんでも比較すれば良いというわけではありません。日本の内閣総理大臣と韓国の大統領を比較しても、「いろいろ違うなあ」ということが分かるぐらいで、「違い」を日本国憲法へフィードバックしようがありません。そうすると、なるべく共通するもの同士を比較した方が良いということになります。(誤解のないように言っておくと、「違う」ことを知るだけでも十分な学問的成果です。)第2に、学んだことがそのまま日本国憲法にフィードバックできるとは限りません。「韓国憲法が~のようになっているから、日本の憲法も~のように変えよう」と言ったところで、そうした主張に説得力を感じる人はあまりいないでしょう。要は、「日本の憲法学にフィードバックしやすいように学ぶ」ことが大事になります。

 これらのことに注意しながら今回紹介するのは、「伝統と人権が衝突した場合の調整の仕方」です。伝統と人権が衝突する場面という言い方をされてもあまりピンと来ないかもしれませんが、日本でも韓国でもこの手の議論の舞台は「家族制度」であることが多いので、誰にとっても割とイメージしやすい問題ではないかと思います。例えば、最近の「選択的夫婦別姓制度」や「同性婚」などの議論の際に、「日本古来の伝統的家族の在り方を守るべき」といった主張がなされることがあります。こうした議論において「伝統がいかに大事か」、あるいは「どのような人権侵害が生じているか」を議論するだけではなかなか埒(らち)が明かないかもしれません。守るべき伝統とは何かを考える上で、そもそも「伝統と人権の関係がどうあるべきか」について考えることも有益なアプローチ方法になるでしょう。

 今から20年ほど前になりますが、韓国で伝統的家族制度の憲法適合性が問題になったことがありました。問題となった家族制度に差別的な要素が含まれていたため、「差別的な制度は是正すべきだ」という主張が出てきたわけです。一方で、韓国憲法9条は国家に対して「伝統を尊重する義務」を規定しており、この条文が国側の抗弁の根拠になりました。「憲法が伝統を守るように言っているから、伝統的な制度は維持すべきだ」というわけです。
 これに対して韓国の憲法裁判所は、いくつかの重要な判例の中で「個人の尊厳や両性の平等に反する家族制度は、憲法9条を根拠に正当化することはできない」という考えを示しました。ただし、人権侵害的な要素が含まれる家族制度をすべて違憲と判断したわけではなく、「個人の具体的権利義務や法的地位に実体的な影響を及ぼす」ものに限定して違憲と判断したのです。
 憲法裁判所によって合憲と結論された制度・・・・・・・・・・の中に、韓国の氏姓制度があります。父系血統主義に基づいて子が父親の姓を名乗る継承の仕組みは、形式的には母系血統に対する差別と見る余地があります。しかし、憲法裁判所は、制度が社会的に受け入れられており、個人の権利や法的地位に悪影響を及ぼしていないと見て、氏姓制度自体は合憲と判断しました。もっとも、子が父親の姓を名乗る制度の基本的な仕組みに例外が規定されていないことが、母子家庭のいくつかのケースでは権利侵害になる可能性があることを考慮して、憲法裁判所は「民法で子が母の姓を名乗ることができる例外について規定していないことは違憲であり、是正すべきである」と結論しました。

 このように、韓国では「伝統は人権に反しない範囲で尊重すべき」と考えられており、人権に反するかどうかは、「その伝統が個人の権利義務や法的地位に『悪影響』を及ぼすかどうか」を基準として判断するという枠組みが用いられています。伝統の保護と人権の保障をともに憲法で規定している韓国ならではの議論の帰結ですが、この枠組み自体は憲法上で「伝統の保護」が規定されていない日本でも参考にすることができそうです。
 もしもこの枠組みを用いて日本の「選択的夫婦別姓制度」や「同性婚」問題を考えてみた場合、いったいどのような結論が導かれるのでしょうか。・・・その結論は、ぜひ皆さん自身が考えてみてください。

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