松山大学法学部教授 井上一洋
「アファーマティヴ・アクション」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。これは日本においては、「積極的差別是正措置」とも訳されます。このアファーマティヴ・アクションは、アメリカでかつて差別を受けてきた人種的マイノリティに対し、大学の入学者選抜や公共事業において一定の配慮を行うことで、実質的な機会の平等を保障するための取り組みとして始まりました。表面的には同じスタートラインに立っているように見えても、過去の人種差別の弊害により、実際にはそこに立つことができない人々が存在します。そうした歴史的背景を踏まえ、平等な市民社会を実現するため土台を整えることがアファーマティヴ・アクションの出発点でした。
他方で、このアファーマティヴ・アクションは、もう一つ重要な目的を有しています。それが大学における学生集団の多様性の実現です。1978年のバッキー判決で連邦最高裁は、入学者選抜において、大学が人種などを考慮し、学生集団の多様性を促進することには教育的に重要な意義があると認めました。異なる背景を持つ学生たちが同じ教室で学び、社会にはさまざまな視点があることを理解することは、人種的に多様な社会で生きていくための手助けとなる。こうした教育的利益を実現するために、大学が入学者選抜において、志願者の人種を含むさまざまな要素を考慮することが合憲とされたのです。この考え方に基づいて、アメリカの多くの大学は、人種を入学者選抜における判断材料の一つとして取り入れてきました。ただし、定員割当制(クォータ制)は違憲とされており、あくまで志願者の個性や経験を総合的に評価する中で人種もその中の一要素として積極的に評価されてきたのです。
ところが、近年はアファーマティヴ・アクションに対する批判も強まっています。特に注目を集めたのが、アファーマティヴ・アクションによって、アジア系の志願者が不合理な取扱いを受けているという主張です。2023年、連邦最高裁は、ハーバード大学とノースカロライナ大学を相手取ったStudents for Fair Admissions判決において、原告の訴えを認め、大学が入学者選抜で人種を考慮することは合衆国憲法に違反すると結論づけました。この判決において、連邦最高裁は、人種に基づいて異なる取り扱いをすることは、それ自体が不平等であると判示しました。つまり、たとえ過去の人種差別の弊害の是正や多様性の実現といった「良性」の目的であっても、人種を考慮すること自体が憲法上の平等原則に違反するというのです。この判決により、アメリカの大学における入学者選抜は大きな転換点を迎えました。
アファーマティヴ・アクションをめぐる議論は、「平等」とは何かという根本的な問いを投げかけています。同じルールを全員に適用するのが平等なのか、それともスタートラインに違いがある人々に対しては、配慮を行うことが真の平等なのか。答えは一つではありません。アメリカの大学における入学者選抜に関する議論は、社会全体の価値観や正義のあり方を映し出しています。多様性と公平性をどう両立させるか。アファーマティヴ・アクションをめぐる議論は、私たちがどのような社会を築いていきたいのかを考えるうえで、重要な手がかりとなるのです。