こころと法

松山大学法学部教授 王 原生

 世間では一般に、法は厳格な存在であり、法的論理は不変であり、法的結論は融通が利かない、という硬いイメージがある。しかし、法は人のこころ(心理・感情)により左右される一面もある。なぜなら、人にはこころがあるからだ。法を作る(立法)のは人であり、法を掌る(司法)のも人である。

 どのような法律を作るかは、その国の国民のこころが大きな影響を与えている。法が人々の活動を規律するものである以上、意識的、無意識的に、一定の人間像を前提とすることとなる。異なる文化、歴史、習慣、宗教等をもつ人間社会には異なる法制度が生まれてくる。例えば、懲罰的損害賠償制度について、外国に認められている制度であるが、日本の法制度には存在しない。これは、相手を徹底的に叩き潰すより、「三方一両損」で、均衡状態を保ち、まるく収め、全体としての調和が図られるという日本人のこころが潜んでいるのではないだろうか。

 また、具体的な法制度にも人のこころを重視するものはたくさんある。例えば、刑法自体は、刑罰という制裁を予告することにより、人間の行動を心理的にコントロールして、犯罪から遠ざけようとするシステムである。民法における意思主義の尊重、信義誠実の原則、公序良俗の遵守等も人々のまごころを大事にする法制度である。

 法の適用について、事実の認定および法の解釈では、ある結論を採る理由として、社会通念(世間一般のこころ)に合致していることが挙げられることがしばしばある。裁判に当たって、裁判官は自分の良心に従って判断する。証拠の採用は自由心証主義を採っている。刑事裁判における裁判員制度が導入される理由の1つは一般市民のこころを重視することにある。被害者参加制度も犯罪被害者の感情を無視できないからである。民事裁判の場合は慣習が重要な判断基準となる。適用すべき法がない場合に、裁判のよるべき基準とされるのが条理である。

 法律は人間が人間社会の秩序を守るために考え出したものである。ある社会の法秩序の特徴および実際の適用は、その社会の人々のこころにより左右される。そのため、人々のこころに大切なものとは何かによって、社会のあり様は大いに変わってくる。

 より良い社会を作るために、みなさんが健全なこころを鍛え、より良い判断ができるようになることを期待する。

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