松山大学法学部教授 遠藤 真治
お気に入りの理髪店が見つからず、家で適当に髪を切っていたが、最近ようやく落ち着ける店を見つけた。暑い季節を迎え久しぶりに散髪に出かけたが、機微を得た店主の対応もあって、その店の椅子は、今回も心地よい眠りに誘ってくれた。
前期の講義で鎌倉時代の「御成敗式目」を取りあげる機会があった。その中に訴訟の場の違法行為として、相手を非難する「悪口の咎」の条文があり、実際にあった悪口例を紹介した。とりわけ頭髪に関する悪口として、「髻を断った」と相手をなじった薩摩の御家人が悪口罪に問われ、所領争いに敗れた例があった。この「髻を断つ」という言葉が、鎌倉武士の死活問題でもある所領問題に影響するほどの重い侮蔑性を認められていたのは何故か、学生に意見を求めた。
周知のように、「髻」とは髪を上部に束ねひも状のもので縛り立たせた部分を指し、それに笄を差して烏帽子をかぶるのが、古代~中世男性の社会的標章と考えられていた。併せて「髻」を人に見せるのは大変に恥ずかしいこととされ、ある絵巻物には男性が烏帽子を落として髻を見せてしまう場面を恥ずべき行為として描いている。要するに「髻を断つ」という言葉は、烏帽子を着けられない状態、つまり「社会からのドロップアウト」を意味する言葉と捉えられていた。
もう一つ、髪の毛に関する話を紹介する。御成敗式目には路上での強姦罪に関する刑罰を記した箇所があり、そこには「道路の辻において女を襲い捕えたものは、御家人なら百日の出仕停止、郎従以下(家来)の者は、頼朝以来の先例にならって『片鬢ぞり』の刑に処する」とある。講義では、当然ながら学生からの意見として、「女性への強姦罪で片鬢ぞりは軽すぎる」との声が大勢を占めた。そこで、室町時代の御伽草子にある「男もつれず、輿にも乗らぬ美しい女房を捕えるのは、辻どりと称して天下の御ゆるしである」との箇所を紹介したところ、「公道の概念やそこを無防備で通る女性に対する時代感覚の違い」との意見を述べる学生がいた。また、「案外片鬢ぞりは当時の人々には軽くない罪かも」と記した学生もいて、興味深かった。
ともあれ、次の散髪では、たとえ心地よい眠りの代償とはいえ「片鬢ぞり」は御免蒙りたく、もしそうなったら「もとどおり」にして欲しいと願っている。