松山大学法学部教授 古屋壮一
少年を良く眺めてください。
裁判所に悩む人がいなくなれば
裁判所は冷たい箱になってしまいます。
桑田義雄判事
桑田義雄判事は、漫画『家栽の人』(毛利甚八作、魚戸おさむ画)(小学館ビッグコミックス)の主人公である。桑田判事は、最高裁調査官となることを打診されるほどの優秀な裁判官であるが、家庭裁判所で多くの家事事件(家庭の紛争に関する事件)に真摯に向き合い、これを解決に導くとともに、少年事件については、少年の将来を見据えた処遇に心を砕く。どうして「家裁の人」ではなく『家栽の人』なのかは、お読みになるとお分かり頂けると思う。
民法における債権譲渡制度(特に民法467条)を研究している私にとっては、冒頭の桑田判事の言葉は、少年事件に関するものであり、無関係のものであるようにも思える。しかし、この言葉は、民法研究者としての使命を私に自覚させる。裁判所で扱われる民事事件はすべて、本来単に「民事事件」と表現し尽せない背景をもっている。当事者双方に事情や言い分があるのであり、弁護士の先生も事件の実像を把握するほど、どのように法律の制度を活用し、いかなる主張を展開していくか苦心される。裁判官の先生も、当事者双方の主張や証拠を精査し、法的評価を行い、社会的にも妥当な結論を導くために日々苦労されている。裁判所には悩む人たちが集まり、解決のための歩みを続けている。
事件解決のためには法律の条文とその条文をどのように理解するかという解釈論が、必要不可欠となる。同じ条文でも読み手によっては違った読み方ができ、読み方の違いは、結論の違いともなりうる。民法の債権譲渡規定においても、「社会での債権取引を守るべき」と考える人と、「債務者の保護を重視すべき」と主張する人とでは、同じ条文が違って見え、結論も異なることになる。民法研究者は、研究室という静かな空間の中で、その条文誕生の歴史を踏まえ、判例学説の解釈論の展開を正確に把握し、あるべき解釈論を構築して発表する。こうした静かな作業は、裁判所において法律問題に悩む人たちを間接的に支援し、裁判所を「冷たい箱」にしないことにつながるのではなかろうか。漫画『家栽の人』は、研究者としての使命を私に認識させる大切な作品である。